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【アラベスク】  第6章 雲隠れ (前編)



第2節 休み明け [4]




 今日からまた、駅舎の施錠と開錠は美鶴に任される。
 昨日、家の電話に木崎(きざき)から確認があった。
 受け答えながら、どことなく心が浮き足立つ。だが同時に、少しだけの虚しさ。
 鞄の中に、薄型の携帯。
 携帯の存在は、木崎も知らないのだろうか?
 いやそれよりも、京都から戻って以来、霞流からは何の連絡もない。

「よろしければお使いください。今のご時勢、無いとなにかと不便でしょう?」

 京都からの帰り、そう告げられた。
「使わなければ、処分してしまってかまいませんよ」
 プリペイドではなかった。基本料金は発生しているはずだ。使わないのならきちんと告げて、解約の手続きを取るべきだろう。
 だが解約など―――

 私は、霞流さんからの連絡を、待っている。

 結局は一度も使ったことのない携帯を、毎日ちゃんと、充電している。朝起きれば、なぜか携帯に腕が伸びる。
 今日から二学期。
 休み前、英語の成績を落して恥をかいた。少なくとも美鶴は、恥だと感じた。その件で瑠駆真を罵倒もした。
 その順位表は、まだ後ろに掲示物として貼り出されている。
 いまだにネチネチと嫌味を言ってくる生徒もいる。
 だがなぜだろう? 今はちっとも気にならない。
 霞流さん。
 その姿を思い浮かべると、なぜだか心が苦しくなる。なのになぜだか、軽くもなる。
 周囲の生徒のざわめきが、不思議とそれほどウザくはない。
「あら、大迫さん」
 鼻にかけたような女子生徒の声。
「ごきげんよう。夏休みはいかがでした?」
「どちらかへお出かけでも?」
 問いかける後ろでクスクスと笑い声。
「ひょっとして、ずーっと毎日お勉強?」
「英語の成績、残念でしたものねぇ」
 明らかな挑発。だが美鶴は、ぼんやりと顔をあげる。
「そうだね」
 その場の生徒は言葉を失う。
 休み前の美鶴なら、うるさいなぁ だとか バカどもには関係ない などといった卑猥(ひわい)な言葉の一つも返してきたはずなのだが。
「何か?」
 問われて女子生徒は、慌てて体制を立て直す。
「い いえ、その… そう言えば、大迫さんは、どのようなお休みを過ごされましたの?」
「そうですわ。それをお伺いしておりますのよ」
(わたくし)は八月中、北欧で避暑でしたのよ」
 聞いてもいないのに。
「大迫さん、フィンランドへは行ったことありまして?」
「あら、失礼よ。大迫さんに行けるワケないでしょ」
 途端に湧き上がる嘲笑。だが美鶴はフイッと無視してしまう。
「あーら、お気に障りまして?」
 徐々にテンションを取り戻す彼女たちを振り仰ぎ
「よかったね」
 ………
 再び後頭部を向ける美鶴。見上げる空は夏の空。気候はまだまだ蒸し暑い。
「な なによっ」
 いつもならこのくらい挑発すれば間違いなく噛みついてくる美鶴の、あまりに素っ気ない態度。
 自分たちへ投げる侮蔑の視線など、所詮は嫉妬の裏返し。そう楽しんでいた女子生徒たち。美鶴の態度に面食らう。
「ちょっとヘンじゃない?」
「休み明けで、ボケてんじゃないの?」
「つまんない」
「いこっ」
 バラバラと離れていく生徒たち。
 自分でも不思議だ。いつもならイライラと言い返してしまうのに、今はとても落ち着いている。
 いや、落ち着いていると言うよりも、それほど気にならない。英語の成績をバカにされても、腹も立たなかった。
 夏休み中の模試には自信があるし、それに―――
 成績なんて、また挽回すればいい。
 そんな風に思えてしまう自分に驚きだ。
 窓の外。晴れ渡る空へ視線を送り、早く帰りたいとそれだけを思う。
 駅舎へ行っても、霞流には会えない。だが、どこかで喜んでいる自分がいる。

 なんとなく、繋がっている。

 今日からまた、駅舎へ行ける。
 伸びてきた髪から、銀梅花の香り。





 やっぱ駅舎で、かな。
 瑠駆真(るくま)は、浮かしかけた腰を再び椅子へ戻した。







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